1970年〜1992年



●1970年 日本リバイバルクルセード発足。
1970年、滝元明・田中政男をはじめ、数々の牧師が協力し日本リバイバルクルセードを発足しました。「日本にリバイバルを」をテーマに全国各地においてリバイバル聖会を開催し、日本の多くの教会にリバイバルへの熱い情熱をもたらしました。
●1976年 韓国のリバイバリストらが来日し親交が始まる。
1976年より韓国のリバイバリスト申賢均牧師、鄭雲象牧師、李浩文牧師らが来日し、韓国に起こったリバイバルの炎を日本に投下してくださいました。
●1977年 韓国民族福音化ソウル大会に日本より参加。
●1988年 韓国民族福音化ソウル大会にて滝元明がメッセージを語る。

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1993年



●1993年 全日本リバイバル甲子園ミッション開催。
『主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。(エレミヤ書10章13節)』
1993年11月5日、6日、7日の3日間、甲子園球場で、日本のキリスト教界の新しい幕開けとなるべく大伝道大会が開催され、3日間でのべ12万人が主イエス・キリストの名のもとに集まりました。
その準備のために神様から与えられたことは祈りの運動でした。全国のクリスチャンに祈りの勇士登録を呼びかけ、多くの祈りの勇士が日本のリバイバルと救いのために祈りの手を上げ始めたのです。
1994年1月より、名称を全日本リバイバルミッションと改め、新しい組織のもとで出発し、私たちの歩みは神様の導きによって全日本各地で毎年のようにリバイバル運動と宣教につき動かされていきました。

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1994年〜1997年



●全日本リバイバル甲子園ミッション閉幕の翌年1994年から1997年までの4年間は地方ミッションの働きへと展開されていきました。1994年6月の東北リバイバルミッションを皮切りに、同じ年の10月 沖縄リバイバルミッション、11月 四国リバイバルミッション(第1回)、1995年5月 日本海リバイバルミッション、8月 北海道リバイバルミッション、9月 信州リバイバルミッション、11月 四国リバイバルミッション(第2回)、1996年10月 四国リバイバルミッション(第3回)、11月 富山リバイバルミッション、1997年5月 九州リバイバルミッションと10箇所で地方ミッションを開催し、甲子園で燃やされたリバイバルの火が各都市にも燃え広がり、伝道大会とリバイバル聖会、そして祈りが日本中で継続されていきました。

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1998年



●1998年9月、滝元明師が新たなビジョンを神様から受け取り、東京の日本武道館において10日間連続で「東京リバイバルミッション」を開催することになりました。甲子園リバイバルミッションから5年、日本の首都である東京での新たな戦いの火ぶたがきられ、まさしく日本の救いをかけた戦いのために、再び全国の祈りの勇士たちが立ち上がり、祈りが集結されていきました。
その結果、毎晩行われた宣教大会では多くの方々が信仰の決心により歩み出て、神様を受け入れる時となりました。決心者の中には教会の案内を通して来られた方をはじめ、路傍で配布されたトラクトやCDを受け取って初めてキリスト教に触れた方々も多数ありました。10日間の参加総数53,000人。この大会で救われた方々は今も、多く教会に連なり、神様の栄光が現されました。

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